東京地方裁判所 昭和25年(ワ)7313号 判決
原告 吉岡金市
被告 国
一、主 文
被告は原告に対し金五万円を支払うべし。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金十万円を支払い、かつ新聞紙上に別紙内容の謝罪広告をしなければならない。訴訟費用は被告の負担とする。」との仮執行宣言つき判決を求め、請求の原因として、また、被告の主張に対して、次のとおり述べた。
原告は昭和五年三月京都帝国大学農学部を卒業し、大原労働科学研究所員次いで大原農業研究所員として労働の合理化及び農業経営の研究を続け、現に農業経営研究所長及び民主主義科学者協会幹事の要職にあり、特に稲作に関する科学的研究の権威として名声を博し、その労作「稲の直まき栽培」では一九四九年度朝日科学奨励金を受け、農学博士の学位をもつている、日本における最もすぐれた科学者の一人である。
原告は昭和二十五年九月下旬島根県農政協会と松江市との共同主催による「農業大学講座」の講師として招かれて松江市に出張し、引続き島根県下市町村を巡回し、同月二十四日同県鹿足郡木部村に赴き、同村長木村荘重方に一泊、翌二十五日かねての同村長の依頼にもとずく講演を行い、午後同村を出発、出雲今市において同月二十六日開催予定の講演会に出席するために同郡津和野町なる国鉄津和野駅にいたり、午後四時頃石見益田行列車に乗車しようとしてプラツトホームに立つていたところ、国家地方警察警部補西川繁(鹿足地区警察署勤務)は部下の巡査数名とともに突如原告に近ずき、原告の周囲を取り囲み、「逮捕状が出ているから御同行願います。」といつて原告の腕をつかんだ。原告は驚ろいて「それをみせてくれ。」というと、「逮捕状は今持つていないが、あなたは長谷川浩さんでしよう。」とのことであつたので、所持の名刺を出し、また鞄をあけて稲作に関する書類を出してみせ、「自分は吉岡金市なる者であり、絶対に長谷川浩ではない。」と弁明したに拘らず、西川警部補はこれに耳をかさず、他の巡査に命じて原告の両手をとらえて暴力的に連れ去ろうとした。原告はその無法を詰り、あくまでも同行を拒否したところ、西川警部補は「手錠手錠」といつて手錠をかけようとまでし、原告をとらえて完全に原告の身体の自由を奪い、多勢の力で引きずるようにして駅前巡査派出所につれ込んだ。その際津和野駅構内及び附近に居合せた多勢の人たちは、何事かと物見高く集つてきて、原告が不法逮捕される有様を見守つており、原告の名誉は公衆の前で限りなくじゆうりんされた。
このような巡査派出所に押しこめられた原告は、再び鞄をあけて吉岡金市なる者であることを証するに足りる手紙葉書その他の資料を出して警察官等の不法を責めたに拘らず、人権じゆうりんを意に介さない警察官らは、全然取り合わず、原告の熱心な弁明と抗議を無視し、原告をむりやりジープに乗せて国警鹿足地区警察署に引致し、原告が拒否するに拘らず、昭和二十五年六月六日公職追放処分を受けた日本共産党中央委員長谷川浩の指紋と対照すると称して、強引に原告の指紋を採取し、また写真を撮影した。
鹿足地区署の警察官らは、引続き原告を同署に留置しようと考えていたもののようであるが、原告が強硬に釈放を要求するので、ついに屈し、原告を再びジープに乗せて津和野駅に送りかえし、表面上は一応原告の行動の自由を許した。そして原告は予定の石見益田行列車に乗つた。しかるに西川警部補の部下の巡査二名(国警島根県巡査)は、原告にさとられないように原告を尾行し、原告が山陰本線上り列車に乗りかえるため石見益田駅で下車し、駅前食堂で夕食をとり、同駅ホームに戻るや、突然原告の面前にあらわれ、「お供させていただきます。」といつて原告の身辺をはなれず、原告とともに山陰本線上り列車に乗り、原告が当初からの予定に従い、温泉津駅で途中下車し同地で一泊しようとしたのをさえぎり、「その先の大田駅まで行つてそこで下車し、国家地方警察安濃地区警察署で用意してある同地の旅館に宿泊されたい。」と強要してきかず、「何故再びそのように自分の自由を束縛するのか。」との原告の詰問に対しては「長谷川浩氏の指紋は大田町の安濃地区警察署にきているから、そこであなたの指紋と照合して符合するかどうかを確めるまであなたを手放すわけには行かない。もし同行を拒否するなら実力に訴えても大田まで連れて行く。そうしなければ自分らが上官から命ぜられた職務を怠つたことになるから、是非おとなしくついてきてくれ。」と言い放つた。再び多衆のいる列車中で原告の名誉が侵害される形勢が濃厚になつたので、原告は、かかる強圧に抗しきれず、ついに大田駅まで行くほかないと観念し、結局大田駅で警察官に伴われて下車し、安濃地区署に連行され、そこで再びむりに指紋を採取され、同署が用意しておいた同町笹木旅館に宿泊せざるをえないこととなつた。
笹木旅館は警察の御用宿で、事実上警察署の留置場の代用となるように特別の構造を施した部屋をもち、その部屋は、隣室で警察官が頑張つている限り、浴場便所等への出入りもすべてその監視下におかれる仕組になつていた。その部屋に原告は押しこめられた。そして同行の警察官二名は、隣室において徹夜で原告を監視し、翌朝まで原告の自由を奪い、原告を監禁した。かくて温泉津の宿に泊り自由な状態で研究資料の整理や講演の準備をしようとした原告の予定は、めちやくちやになり、原告は実に不愉快極まる一夜を明かした。
原告はしばしば講演、実地指導等のため島根県に出張し、同県下を遍歴している関係上原告の名と顔は広く同県民の間に知れわたつており、人違いをされるというようなことはとうてい考えられないのである。警察官らの前記一連の行為は、明らかに職務を行うについて悪意又は重過失をもつて原告の名誉及び自由を侵害したのであるから、被告国は、国家賠償法の規定によつて、原告の蒙つた損害を賠償する義務を負うのである。
原告の蒙つた精神的な苦痛に対する慰藉料は、原告の地位経歴をさんしやくすると、金十万円をくだるべからざるものであるから、原告は慰藉料十万円の賠償を求める。
更に原告の受けた不名誉、即ち公衆の面前で罪なくして犯人扱いをされた屈辱に対しては、被告は原告の名誉を回復するに必要な処分をすべきであるから、原告は被告に対し、名誉回復に必要な処分として、新聞紙上に別紙のとおりの謝罪広告をすべきことを求める。
被告の主張には真実に反するところが多い。請求の原因を詳細ならしめる趣旨を含めて、次に答える。
島根県鹿足郡木部村が日本共産党の勢力の強いところであること、木部村村長木村荘重が元日本共産党島根県委員であつたことは認める。
木村村長が「かつて自分は治安維持法違反の罪で長谷川浩と同じ刑務所で服役したことがある。」といつたことがあることは否認する。
昭和二十二年中に長谷川浩が木部村を訪ねたことがあるかどうかは知らない。
昭和二十五年九月二十五日附毎日新聞に、被告のいうような記事が長谷川浩の写真入りで載つたことは認める。
昭和二十五年九月二十五日午後三時頃松川巡査が鹿足地区署に被告主張のような報告をしたかどうか、西川警部補とともに津和野駅にいた巡査が大羽及び松川であつたかどうか、警察官らが津和野駅待合室で写真と原告とを照し合せてみたかどうかは知らない。
原告が手配写真、毎日新聞の写真に似ているということは否認する。むしろ逆に似ていないことは誰がみても明らかである。
西川警部補が本署に報告して指揮を求めたかどうか、署長から被告主張のような指示が伝達されたかどうかは知らない。
原告は津和野駅ホームに出るまで何人にもはさまれたことはない。
津和野駅に石見益田行列車がついており、原告がこれに乗ろうとしたことは事実であるが、列車発車までは数十分の間があつたのである。
原告がホームで警察官に呼びとめられたことは事実であるが、警察官が帽子をとつて被告主張のように申出たことはない。
ホームで警察官がやにわに原告の腕をつかんで逮捕しようとしたので、逮捕令状があるかどうかを詰問したのであつて、単に職務質問を受けて「令状があるか。それをみせろ。それでなければ応ずる必要はない。」といつたのではない。警察官らが原告の態度を不審に思つたとか、逃走するのではないかと考えたとかいうのはこじつけである。彼らは最初から原告を長谷川浩ときめこみ、逮捕しようとしたのであるから、令状があるかと詰問されて不審に思うなどということはありえない。また停車中の列車に乗り込もうとしていた原告をみて、逃走するかもしれないと考えるのもおかしい。警察官らが原告に待合室まで同行することを求め、待合室の附近まできて腕をはなしたというようなことはない。
原告がその身分を証明するためにホームで鞄を開き書類を出した際乗客は列車に乗り込んでいたから、乗客が立ち寄り原告に不利になるなどと警察官が考えるはずはない。警察官らは原告の両腕をとらえ、寄りそうどころか全く原告の行動の自由を奪つて、原告を駅前派出所まで連行したのである。
原告が名刺を出して西川警部補に渡したのはホームで逮捕されようとした際のことであつて、派出所へ行つてからのことではない。
派出所では長距離電話がきかないとか、同所には警察官の家族が同居しているとか、附近の人々が集るので原告に不利だとかいうのは口実であつて、警察官らははじめから原告を本署まで引致するつもりで原告の熱心な弁明に耳をかそうとしなかつたのである。
原告が被告主張のような条件をつけて鹿足地区署への同行を承諾したようなことはない。警察官らは原告の意思とは無関係に原告を本署に連行したのである。現に西川警部補はホームで部下に対しジープを呼べと命令していた。
鹿足地区署は駅前派出所から二、三分で行けるところではない。
鹿足地区署で原告は西川警部補の質問に答えて、「今夜は大田か途中の温泉にでも一泊するつもりである。」などとあいまいなことをいつたのではない。温泉津にとまるとはつきり述べたのである。
西川警部補が原告の申述の真偽を照会する手配をしたとか、他に確実な資料もなかつたとかいうのは、でたらめな言いぶんである。原告は西川警部補に対し、「自分はしばしば島根県に農業経営に関する講演をしにきているから、島根県庁の社会教育課または農業協同組合連合会へ電話で問合せてみればすぐわかる。」とくりかえし述べたが、西川警部補は何らの手配をしなかつたのである。また原告の鞄は原告の身分を明らかに証明することのできる無数の資料(農業経営に関するものその他)で満ちており、原告はこれを示して説明したに拘らず、西川警部補は全く原告の弁明をきこうとせず、強引に指紋を採取し、写真を撮影したのである。
西川警部補は「指紋と写真をとらせてくださいませんか。」などとていねいな言葉は使わず、高圧的にそうすることにひとりぎめしてこれを実施したのであつて、原告が「よろしい。早くしてくれ。汽車に間に合わぬよ。」などといつて承諾した事実はない。ただ実力をふるつてまでこれを拒否しなかつたというだけのことである。刑事訴訟法第二百十八条の規定があるのに原告の指紋を採取し写真を撮影したこと自体すでに警察官らが原告を完全に身体の拘束を受けている被疑者扱いにしたことを暴露するものである。
鹿足地区署が国警島根県本部に打合せたかどうか、県本部から鑑識課員を安濃地区署に派遣し、指紋対照をすることにしたかどうかは知らない。
警察官らが指紋原紙の携行を忘れたということは、原告を一旦釈放してもいつでも再び逮捕することができるという頭があつたからである。
原告が石見益田駅で警察官らに対し「ついてくるのは勝手だが。」とか「別にかまわんがね。」などといつたことはない。
原告は予定通り温泉津駅で下車しようと思つたが、二人の警察官の態度から、下車を強行すれば再び暴力的に阻止され、堪えがたい恥辱を加えられることがわかつたので、やむを得ず下車を断念し、その列車の終点大田駅まで乗り越して行つたのである。
警察官らは大田駅で下車してくれればすぐ旅館に案内するといつていたに拘らず、同駅に下車するや否や多数の警察官が原告をとりかこみ、用意してあつた警察の自動車に乗せ、国警安濃地区署に連行したのであつて、原告は警察署に同行する意思もなかつたし、その旨告げられて承諾したこともない。
原告は安濃地区署で自動車からおろされ、署長室につれこまれたので、署長に対しその不当を詰つたところ、署長は、九月二十五日附毎日新聞を示しながら、「実は日共幹部の長谷川浩氏によく似ているので、疑いがかかつている。」と弁明した。そこで原告は「よく僕の顔を見給え。その写真とどんなにちがうかがよくわかるだろう。」と反駁したが、警察官らは依然疑いを解こうとしなかつた。そして「指紋原紙を忘れてきたからもう一度指紋をとらせてくれ。」というので、原告は「重大犯人と目して大さわぎをしてとつた指紋を忘れてくるとは何事だ。警察官らのやることには何ら誠意が認められないし、言うことにも信がおけない。」と詰り、再び指紋をとることを拒んだものの、時すでに夜半近くなつていたし、かかる理不尽の警察官と何時までも押問答することの不愉快さをおもい、またそうすることは不当に嫌疑をかけられた問題の解決にもならないと考えたので、結局指紋をとることを認めたのである。こころよく承諾したなどというのは、とんでもないことである。
指紋対照の結果原告が長谷川浩でないことが明白になつたかどうかは知らないが、二十五日夜安濃地区署長が原告に謝意を表したことはない。同署長が陳謝らしい言葉を発したのは、翌朝原告が旅館から駅に向う途中安濃地区署前で署長に迎えられたときである。
また署長が希望があれば宿をお世話するといつたことはなく、列車中で警察官がいつたとおり、宿舎は予め用意してあり、原告の意思とは無関係にそこに泊める予定になつていたのである。まして原告が宿のあつせんを希望したというようなことはない。
当夜笹木旅館には他に同宿者はなかつた。また安濃地区署では原告に警察の風呂にはいれといつたし、翌朝笹木旅館の主人は宿泊料は警察署長と話がついているからいらないといつた。これらのことは警察官らが留置場代りに笹木旅館を選んだことを物語るものである。なお警察官らの寝床は最初原告の寝た部屋の次の間に敷いてあつたが、翌朝原告が起きてみて、それらが別室に移されていたことがわかつた。おそらく警察官らは、原告が就眠したのちに、別室に移つたのであろう。
本件警察官らは日本共産党の追放幹部を逮捕しようとの功名心にかられ、熱病患者のように、冷静な判断、落ついた観察をせず、漫然新聞記事を盲信し、これと木部村における共産党の活動状況ないし木村村長とを勝手に結びつけ、しかもその偏見にもとずく瞬間的な観察だけで原告を長谷川浩と盲断し、別に挙動に不審のかどなく、また見失つてしまうような危険性のない状況のもとにあつた原告に対し、敢て常規を逸した暴力を行使し、その自由を奪い、かつ公衆の面前で重大な恥辱を加えたのであつて、本件警察官らには職権乱用の故意がなかつたとしても、重大な過失があつたのである。
謝罪広告の点については、原告は、逮捕状もないのに重大犯人であるかのように公衆の面前でるいせつのはずかしめを加えられたことによる不名誉を回復するには、警察官らの不法行為が被告によつて謝罪されなければならない、と主張するのである。誤認だつたと新聞が報道しただけでは、警察官らの不法行為だつたということは、全然世間には明らかにならない。世間の人々は原告がたまたま長谷川浩に似ていたから不運であつたに過ぎないとか、原告にも過失があつたから警察官に多少の行きすぎがあつたとしても原告はこれを甘受しなければならないとかいうようなことを考えるかもしれない。かくてこのままでおくと原告が不法逮捕されたという不名誉な事件の真相は、永久に世人の前に明らかにされないままになつてしまうであろう。これ原告が敢て謝罪広告を求める理由である。
かように述べた。<立証省略>
被告代理人は、原告の請求を棄却する旨の判決を求め、次のとおり答弁した。
原告がその主張のような経歴、地位、研究、学位をもつすぐれた科学者であること、原告が昭和二十五年九月二十四日夜島根県鹿足郡木部村木村荘重方に宿泊し、翌二十五日国鉄津和野駅プラツトホームに居た際、国家地方警察島根県警部補西川繁(鹿足地区警察署勤務)とその部下二名の巡査が原告に近づき、問答の末、原告とともに駅前巡査派出所に行つたこと、その際警察官らが原告の腕をとらえ、かつ原告に対して「あなたは長谷川浩さんでしよう。」と告げたこと、長谷川浩に対し逮捕状が発布されていたこと、原告が右巡査派出所で手紙、葉書等を示して、自分は長谷川浩でない旨弁明したこと、西川警部補らが原告とともにジープで国警鹿足地区署に赴いたこと、同署で長谷川浩の指紋と照合するため原告の指紋を採取し、かつ写真を撮影したこと、鹿足地区署の警察官が原告をジープで鹿足地区署から津和野駅まで送り、同駅から原告が列車に乗つたこと、鹿足地区署の警察官二名が同じ列車に乗り、石見益田駅で原告に「お供させていただきます。」と告げて原告と同行し、大田駅で下車、原告とともに同町にある国警安濃地区署に行つたこと、同署で原告の指紋採取が行われたこと、その日原告が安濃地区署で用意しておいた大田町の笹木旅館に宿泊し、右警察官二名も同宿したことは認める。原告が講演、実地指導等のためしばしば島根県下に赴き、その名と顔が県民の間に広く知れわたつているかどうかは知らない。その余の原告主張の事実は争う。
原告の主張するところは、多く事実に反している。事の真相は次のとおりである。
島根県鹿足郡木部村は元来日本共産党の勢力の強いところであり、村長の木村荘重は元日本共産党島根県委員であつた。木村村長は「かつて自分は治安維持法違反の罪で長谷川浩と同じ刑務所で服役したことがある。」といつたことがあり、かつ昭和二十二年中に長谷川浩が木部村を訪れたこともあるので、同村に長谷川浩が立ちまわるおそれは十分であつた。ところが昭和二十五年九月二十五日附毎日新聞に、長谷川浩が阪神舞鶴地方に潜入した疑いがあるという記事が、同人の写真入りで掲載されたのをみて、国家地方警察鹿足地区警察署において警戒中、同日午後三時頃、鹿足地区署勤務の国家地方警察島根県巡査松川幸之佑から、「毎日新聞に掲載された長谷川浩によく似た人物が昨夜木部村の木村荘重方に宿泊し、今日バスで津和野駅に向つた。」という報告が鹿足地区署にもたらされたので、同署では、西川警部補、大羽巡査部長(同警察署勤務、国警島根県巡査部長)及び松川巡査の三名を津和野駅に赴かせた。西川警部補らは、津和野駅の待合室でこれとおもう人物(これが原告であつた)を発見し、長谷川浩の手配写真(乙第三号証)及び毎日新聞に出た長谷川浩の写真(乙第二号証)と対照した結果、原告がこれらの写真に酷似していることがわかり、かつさきにあげた諸事情もあつたので原告が長谷川浩にちがいないと考えた。
西川警部補はこれを本署に報告して指揮を求めた。そして同警部補と大羽巡査部長は、原告をはさむようにして、プラツトホームに出た。これと前後して署長から、「乗車前に職務質問をし、必要があれば本署に同行を求めてよし。」との指示が伝達された。ホームにはすでに石見益田行の列車がはいつており、原告がその列車に乗る気配がみえたので、原告の後方にいた西川警部補は、先行の大羽巡査部長に合図して、前方から原告を呼びとめさせた。その時乗客はホームに約十名位居り、改札口の方から三々五々ホームにはいつてきていた。大羽部長は帽子をとり、「私は警察の者ですが、ちよつとおたずねしたいことがありますから、そこの待合室(大羽部長が原告を呼びとめたところから五メートル位離れたところにあるホームの待合室)まで引き返してください。」といいながら、右待合室を指したところ、原告は「警察の者だという証拠があるか。自分は取調を受ける理由はない。」といつて応じなかつた。大羽部長はさらに警察官の身分を明らかにして職務質問をしようとしたところ、原告は「令状があるか。それをみせろ。それでなければ応ずる必要はない。」と語気鋭くいいすてて、そのまま列車に乗り込もうとした。西川、大羽の両警察官は、その態度を極めて不審に思い、或いは逃走するのではないかと考えたので、原告の両腕を両側からとらえて、さらに待合室へ同行することを求め、待合室の附近まできて腕を放した。その時原告は、「君たちはそんなことをするのか。令状はあるか。令状はあるか。」と繰り返したので、西川警部補らは、「あなたは日共追放幹部の長谷川浩さんでしよう。長谷川浩には逮捕令状が出ている。」と告げたところ、原告は「とんでもない。私は長谷川浩では絶対にない。君たちは今日の毎日新聞をみて間違えたのだな。」といいながら、所持していた鞄を開き、何か出そうとしたが、西川警部補はホームで質問すると乗客が立ち寄り、原告に対しても不利であると考え、「ともかく手間はとらせないから、駅前派出所まで行つてもらいたい。」と同行を求めた。原告は、「それならば行こう。」といつたので、西川、大羽の両名は、原告に寄りそうようにし、松川巡査は原告の背後にあつて、万一にそなえながら、駅前の巡査派出所に赴いた。
原告はすぐ吉岡金市なる名刺を出し、「自分はこのような者である。」といい、なお吉岡金市宛の葉書、手紙を数葉示してその身分を明らかにし、人違いであることを釈明した。しかし原告にとつて不幸なことには、偽名している犯人が、その身分を偽わるため、予め名刺、葉書等を準備していることが多いので、西川警部補は真偽を明らかにするには、住居照会等の方法によつて身分をたしかめる必要があると考えた。ところが駅前派出所では、警察電話が不良で、照会のための長距離電話がきかない実状にあつた。また同派出所は、自治体警察である津和野警察署の派出所であつて、警察署員の家族が居住しており、かつ駅の待合室附近の人々が派出所に集つてくるおそれもあつた。かような事情であつたので、西川警部補は、原告のためにも本署で質問する方がよいと考え、原告に対して、鹿足地区署まで同行を求めた。すると原告は、「自分は絶対にこの列車で出発しなければならないから、発車までに間に合わせてくれ。万一おそくなるようなことがあれば、石見益田まで警察が責任をもつて送つてくれ。」という条件をつけて承諾したので、西川警部補は直ちにジープで、原告とともに、派出所から二、三分の距離にある鹿足地区署に行つた。本署で西川警部補が原告に、氏名、職業、前日までの行動、行先地、その目的等について質問したのに対し、原告は、「自分は吉岡金市という者で、大原農業研究所の所長をしており、山陰自由大学の講師でもある。住居は倉敷市外祐安で、本籍地は岡山県後月郡いはら町である。一昨日は松江市で稲の直まき栽培の講習をし、その夜は同市県庁にある職員会館に泊り、昨夜は木部村村長木村荘重方に泊り、本日は午前中木部村で同様の講習をし、これから出雲今市まで行く予定である。今の列車では出雲今市まで行くことはできないが、今夜は大田か途中の温泉にでも一泊するつもりである。」と答えた。
原告の盛名を知らなかつた西川警部補は、原告の申述の真偽を照会する手配をしたが、原告の述べた本籍地住居は遠方で早急に回答を入手することはできないし、他に確実な資料もないので、原告と長谷川浩との異同を明らかにする最も確実な方法は指紋対照であると考え、「対照してみるから、指紋と写真をとらしてくださいませんか。」と原告に申し出たところ、原告は「よろしい、早くしてくれ。汽車に間に合わぬよ。」といつて承諾して、写真と指紋をとらせた。
写真を撮影し、指紋を採取し終ると、すぐ鹿足地区署は原告をジープで津和野駅に送りかえしたので、原告は予定の列車に乗ることができた。一方、鹿足地区署では石見益田駅であとの処置について指示を受けるように命じて、大羽巡査部長、松川巡査を同じ列車(車両は別)に乗せた上、今後の処置について国警島根県本部と打合せた。その結果、原告が長谷川浩であるか否かをたしかめるには指紋対照によるほかないが、指紋対照の技術者は松江市の国警本部にいるだけであり、鹿足地区署で指紋対照をすることはできないから、県本部が鑑識課員を大田町の安濃地区署に派遣し、同署で指紋対照をする、ということにきまつた。ところが石見益田駅の大羽巡査部長等と連絡した結果、同部長が原告の指紋原紙を忘れて行つたことが判明したので、鹿足地区署長は、県本部と打合せの上、大羽巡査部長に大田駅まで原告と同行するよう命じた。そこで大羽巡査部長は、石見益田駅ホームで原告に対し「お供させていただきます。」と告げたところ、原告は幾分色をなして、「君たちは僕を何だと思つているのかね。僕はこれでも知名人だよ。君たちがついてくるのは勝手だが、それは無駄だよ。僕は別にかまわんがね。僕は農業経済の専攻だが、法律の方も相当やつているんだ。めつたなことをするとあぶないよ。」という意味のことを話した。そこへ列車がついたので、原告と大羽巡査部長と松川巡査は早速列車に乗り込んだ。発車時には乗客も多かつたので、大羽巡査部長は沈黙を守り、原告に対してはそしらぬふりをしていた。三保三隅駅にさしかかるころ、原告は車掌に大田駅の手前にある温泉津温泉の様子をたずねた。そのうち乗客は次第に少くなり、江津駅にさしかかるころには車両内には数人の乗客しかおらず、原告と大羽巡査部長の席の近くには人影がなくなつた。そこで大羽巡査部長は原告に話しかけ、温泉津温泉の旅館が不潔であつて、大田町に宿泊する方が快適であることや、大田町に着けば安濃地区署で旅館の準備をしてあり、署から車を出迎えによこしてあること、自分たちも先生と同行するのだから、先生の余栄で一等旅館に宿泊したいなどと、冗談をまじえて話すうち、原告も打ちとけて種々農業の話などするようになつた。ほどなく温泉津駅に到着したが、原告はおりようとする様子もみせず、列車は大田駅に到着した。駅には安濃地区署から自動車がきていたので、これに乗つて国警安濃地区署に赴いた。同署では署長自ら原告に対して、「旅行中お疲れのところ御苦労を願い御迷惑であつたとおもうが、あなたが日共追放幹部長谷川浩によく似ているので、その疑いで御苦労願つたわけである。鹿足地区署でとられた指紋は当署へ署員が携行するはずであつたが、取紛れて忘れたとのことであるので御惑迷ながら今一度当署で指紋をとらせていただきたい。即刻対照によつて真偽は判明する次第であるが、御了承願えるであろうか。」という趣旨のことを話しかけたところ、原告は、「さいぜん指紋をとられたばかりだが、それによつてはつきりするというのであればすぐとつてもらいましよう。」とこころよく承諾した。直ちに別室で指紋採取の上指紋対照を行つたところ、原告と長谷川浩が別人であることがわかつた。そこで署長は原告に対し、「指紋対照の結果人違いであることが判明し、これ以上疑う余地はなくなつたから、御安心願いたい。御迷惑をかけて恐縮でした。」と陳謝し、「希望があれば宿舎をお世話します。」と申し向けたところ、原告もあつせんを希望したので同署から二百メートルほど離れた笹木旅館を世話し、警察署の自動車で原告を同旅館に案内した。
笹木旅館は大田町第二の旅館で、原告の宿泊した部屋は同旅館の最上の部屋であつて、原告主張のような特別の構造をもつてはいない。同宿した警察官は鹿足地区署から原告と同行してきた警察官であつて、たまたま原告と同宿したに過ぎない。原告が長谷川浩と別人であることはすでに明らかになつていたのであるから、もはや原告を監禁したり監視したりする必要は全くなく、むろんそのようなことはしなかつたのである。
西川警部補らが津和野駅のプラツトホームで原告の両側からその両腕をとらえてホームの待合室附近まで同行した行為は違法である、との議論があるかもしれないが、それは誤つている。当時長谷川浩に対しては団体等規正令違反の罪の疑いで逮捕状が発付されており、警察官らは原告を長谷川浩であると思つており、原告が同行を拒否して乗車する気配を示したため更にその疑いを深め、万一の逃走を防ぐために右の如き行為に出て、その直後原告が長谷川浩であり、長谷川浩に逮捕状が発付されていることを告げたのである。この行為は客観的にみれば長谷川浩に対する逮捕状による逮捕行為にほかならない。もつとも警察官らは逮捕状を所持しておらず、連行する前に被疑事実の要旨と令状が発せられていることを告げず、待合室まで連行して原告の腕をはなしたのちに、はじめて令状が発せられていることを告げた。しかし警察官らが原告を連行したのは僅か五メートル位であり、その直後に令状発付のことを告げたのである。いわば一瞬の出来事であつて、ほとんど時間的な間隔がない。しかも場所は発車間際の駅のホームであり、原告が警察官らの任意同行の申出を拒否して乗車する気配を示したので、警察官らはやむなく連行し、直ちに令状発付の旨を告げたのである。緊急の際こうしたことが許されないとは思われない。
また長谷川浩が団体等規正令違反の罪の疑いを受けていたことは公知の事実であつて、ことさらに被疑事実を告げる必要のない場合であつた。かようにみると、警察官らの右行動は、原告が長谷川浩でなかつたという一点を除いては適法な逮捕状による逮捕である。そしてさきにあげた状況のもとにおいて警察官らが原告を長谷川浩であるまいかと考えたことは無理からぬことであり、警察官らが原告に対し、長谷川浩であろうという嫌疑をかけたことについては、故意はもちろん過失もなかつたといわなければならないから、警察官の右の行為は故意または過失による違法な公権力の行使ということはできない。
なお警察官らは逮捕後も所要の手続をふんでいないが、これは警察官らが事を穏便に運ぶために当初から職務質問の形式を選んだためであつて、このことは逮捕を違法ならしめるものでもなければ、逮捕状による逮捕と解する上に何の妨げになるものでもない。仮りに逮捕の前後の手続において若干の手落ちがあつたとしても、国家賠償法第一条の違法な公権力の行使との関係においては、それらは純然たる形式上の瑕疵にとどまり、実体的な違法を形成するものではない。原告は約五メートル先の待合室まで同行を求められたのである。気軽にこれに応じておだやかに話をすればそれですんだのではあるまいか。ホームの待合室から駅前派出所へ、同派出所から鹿足地区署へ行つたいきさつは、さきに述べたとおり原告の承諾のもとに行われた任意同行であり、石見益田駅から安濃地区署までの行為は任意捜査の方法として当然許されることであり、指紋を採取し、写真を撮影した行為についても、原告の承諾をえているのであるから、少しも違法はない。ことに笹木旅館における宿泊が監禁であるという原告の主張は、事実を曲げるも甚だしきものである。
なお原告は謝罪広告を求めているが、本件については性質上謝罪広告の必要ありとも思われないし、原告が長谷川浩とは別人であつて、原告にかけた疑いが無実のものであつたことはすでに新聞紙によつて一般に報道されているのであるから、原告の名誉はすでに回復されていると考えられる。謝罪広告はその必要がない。
かように述べた。<立証省略>
三、理 由
原告が昭和五年三月京都帝国大学農学部を卒業し、大原労働科学研究所員次いで大原農業研究所員として労働の合理化及び農業経済の研究を続け、現に農業経営研究所長及び民主主義科学者協会幹事の地位にあり、特に稲作に関する科学的研究の権威として名声を博し、その労作「稲の直まき栽培」では一九四九年度朝日科学奨励金を受け、農学博士の学位をもつている、日本におけるすぐれた科学者の一人であることは、当事者間に争いがない。
各検証の結果と、証人山田槌登、肥田義人、中島守三、西川繁、大羽一松、松川幸之佑、富田美子、中尾哲郎、高居四朗、笹木武三郎、笹木美智子、山崎勝巳、坂根寅夫の各証言、原告本人の供述とを合せ考えると、次のとおり認めることができる。
原告は昭和二十五年九月下旬島根県農政協会と松江市との共同主催による「農業大学講座」の講師として招かれて松江市に出張し、同月二十四日同県鹿足郡木部村に赴き同村長木村荘重方に泊り、翌二十五日午前中かねての同村長の依頼にもとずく稲の直まき栽培の講演をし、昼頃同村を出発し、出雲今市において同月二十六日開催予定の講演会に出席するために午後一時過ぎに同郡津和野町なる国鉄津和野駅にいたり、雑用を足して午後三時頃から同駅待合室に休んでいた。
元来木部村は日本共産党の勢力の強いところであり、かつこの昭和二十五年九月二十五日の毎日新聞には日本共産党追放幹部長谷川浩が阪神舞鶴地方に潜入した疑いがある旨の記事が、同人の写真入りで載り、しかも国家地方警察島根県本部からも長谷川浩が鹿足地区署管内に立ち廻るおそれがあるから注意せよとの指示が出ていたので、国家地方警察鹿足地区署は厳重な警戒に当つていたところであつた。
たまたまこの九月二十五日、鹿足地区署に勤務する国家地方警察島根県巡査松川幸之佑は、木部村駐在所巡査から「昨夜木部村村長木村荘重方に身体の大きな男が泊り、今日津和野駅へ向つた。木部村は共産党の勢力が強いところだから、ことによつたら予て逮捕状が出ている長谷川浩かもしれない。」との報告を受けたので、午後二時頃津和野駅に出向いたところ、それらしい人が目にとまつたので、その旨鹿足地区署に報告した。松川巡査からこの報告を受けた鹿足地区署長高居四朗は、西川繁警部補、大羽巡査部長、松川巡査(いずれも同署勤務、国家地方警察の警察官)の三名を津和野駅に出向かせた。西川警部補ら三名は、同駅待合室でベンチに腰をかけている原告に注意をあつめ、長谷川浩の手配写真及び毎日新聞に出ていた長谷川浩の写真と対照した結果、原告がこれらの写真と似ていると思い込んだ。
西川警部補はこれを本署に報告して指揮を求めた。間もなく署長から「職務質問をした上で、できるだけ本署にきてもらうようにせよ。」との指示がもたらされた。
これと前後して午後四時少し前原告はプラツトホームに向つたので、西川警部補と大羽巡査部長も原告をはさむようにしてプラツトホームに向い、松川巡査もホームに出た。ホームにはすでに石見益田行の列車がはいつており、原告がこれに乗る気配がみえたので、原告の後方にいた西川警部補は先行の大羽部長に合図して前方から原告を呼びとめさせた。
大羽部長は帽子をとり、ホームの待合室を指し、「お尋ねしたいからちよつとそこまで同行してください。」といい、同時に西川警部補は近寄つて警察手帳を示したが、原告は西川警部補の方を向いて、「令状はあるか。人違いだ。僕は汽車に乗るのだよ。」といつて鞄を持つた手をあげて列車に乗る態勢を示した。西川警部補と大羽部長は、汽車に乗られてはこまると、両側から原告の腕をつかまえて、ホーム待合室附近まで引き戻した。そしてその附近で西川警部補は原告に「あなたは長谷川浩さんでしよう。長谷川浩には令状が出ています。」といつた。原告は、厳然と「人違いだ。」といつて、名刺を出し、さらに葉書などを示して人違いなることを立証しようとしたが、原告を長谷川浩なりと思い込んでいる西川警部補、大羽部長は、これに取り合わず、「駅前派出所まで」といつて、同行を拒んでふんぞりかえる原告を引き立てた。ホーム待合室附近からは、警察官らは、腕をとる手をいくぶんゆるめ、西川、大羽は左右から、松川巡査は背後から、原告をかこみ、原告の行動の自由を奪つて、駅前巡査派出所まで行つた。これらのことの起つたとき、石見益田行列車中には相当な人が乗つており、駅ホーム及び待合室附近にも多少の人がいた。
西川警部補は駅前派出所にかけつけるやすぐ本署へ電話し、ジープを向けてくれと求めた。駅前派出所では照会などに不便であり、かつ公衆が物見高く集ることが懸念されたので、とにかく署長のいうように本署までつれて行つて、職務質問しようと思つたのであつた。ついで原告は派出所で手紙葉書などを出して長谷川浩でないことを説明したが、警察官らはこれに目をくれようともしなかつた。とにかく本署につれて行つてから、と考えたのであつた。間もなくジープがついたので、原告に本署に行くことを求めた。原告は汽車の時間が気になり、本署への同行を拒んだが、警察官らが原告のいうことに全然耳を傾けようとしないのをみて、反抗しても無益と考え、「今の列車に乗らなくては自分の日程が狂つてしまう。乗りおくれたら警察が責任をもつか。」といいすてて、やむなくジープに乗つた。警察官らも原告を押し上げるようにしてジープに乗せた。
鹿足地区署において西川警部補は原告に、本籍、住所、氏名、年齢、職業、前日までの行動、行先地、その目的等について尋ねたところ、原告は「氏名は吉岡金市、住所は岡山県倉敷市外祐安であり、農業経営研究所の所長をしている。一昨日は松江市で稲の直まき栽培の講習をし、同夜は同市の職員会館に泊り、昨日は鹿足郡木部村に来て同村長木村荘重方に泊つた。これから出雲今市へ行く予定である。」と答え、年齢、本籍地なども述べた。ついで西川警部補は指紋と写真をとらせてくれと、原告に承諾を求めた。原告はこれを拒んだが、西川が頑固に要求してきかず、汽車の発車時刻が気になり、押問答していてはきりがないので、やむなく写真と指紋をとらせた。そこで鹿足地区署では、原告をジープで津和野駅に送り、原告ははじめて行動の自由を回復し、定刻より少しおくれて午後四時二十数分頃発車した(鹿足地区署が連絡して発車を待つてもらつた)石見益田行列車に辛うじて乗ることができた。
一方鹿足地区署長は、国警県本部の指示にもとずき、石見益田駅であとの処置について指示を受けるように命じて、大羽部長、松川巡査を同じ列車に乗せ、原告を尾行させ、なお今後の処置について国警島根県木部と打合せた。県本部の言うところは、原告が長谷川浩であるか否かをたしかめるには指紋対照によるほかない、県本部から鑑識課員を大田町の国警安濃地区警察署に派遣し、同署で指紋対照をするから、指紋原紙を携行するように、とのことであつた。ところが石見益田駅の大羽部長と連絡がついて尋ねた結果、同部長が原告の指紋原紙を持たずに行つたことが判明したので、鹿足地区署長は、大田町の国警安濃地区署まで原告と同行するようにと、大羽部長に命じた。そこで大羽部長は石見益田駅ホームで原告に対し、「お供させてください。」と申出たところ、原告は、不快な顔をして「何だまだついてくるのか。人違いだよ。無駄だよ。」などといつた。「上司の命によつて来たのですから悪しからず願います。」と大羽がいつた。そこへ山陰本線上り列車がはいつてきたので、原告が乗車し、ついで大羽部長と松川巡査も同じ車両に乗つた。原告は、大羽が原告の近くに座席をとつたのをとがめ、「うるさいあつちへ行け。」と叱つたりしたが、現在なおかけられている嫌疑も警察の照会などによつてやがてはれることであろう、二人を相手に叱つてもつまらないなどと思いなおし、大羽に原告の著書を読ませたり、大羽から農業に関する質問を受けたりして、時を過した。温泉津駅が近くなつたころ原告が車掌に温泉津温泉のことを尋ねたので、大羽は大田まで行つてくれればよいがと気をもみ、「温泉津温泉はつまらないところですから、大田まで行つては如何ですか。大田町は静かでよい宿があります。宿の手配もしてあるはずです。」と申向けた。原告もその気になつた。かくて午後十時頃大田駅についた。一方大田町の国警安濃地区警察署長坂根寅夫は、国警島根県本部の指示により、同署所属の巡査部長山崎勝巳外巡査二名に、原告を大田駅で迎えてつれてくるよう命じて、自動車で大田駅まで出向かせた。列車から下りた原告、大羽巡査部長、松川巡査は相ついで右自動車に乗つた。原告は警察官が旅館へ案内してくれるものと考えていた。午後十時二十分頃自動車は安濃地区署についた。自動車がとまつた場所が安濃地区署であることをきいた原告は、「宿へ行くはずではないか。人をだますな。」と怒つて詰問した。同署員は原告を取り囲むようにして二階へ導いた。そこで安濃地区署長は原告に対し、「夜分おそくに恐縮ですが、あなたが毎日新聞の長谷川浩の写真に似ていて、長谷川浩ではないかとの疑いをかけられているので、おいでを願つたのです。先ほど鹿足地区署でとらせていただいた指紋原紙と長谷川浩の指紋とを対照するはずになつていたが、つい取急いでそれを持参するのを忘れたとのことであるから、重ねてのことで恐縮ですがあらためて指紋をとらせていただきたい。」といんぎんに申出た。これに対し、原告は「毎日新聞の長谷川浩の写真と自分とは全くちがうではないか。指紋を二度もとるとは何事か。人権じゆうりんではないか。」と詰問し、指紋をとることを拒んだ、ところが署長はやはりいんぎんながら、「指紋をとらなければ結局はつきりしないから、御迷惑と存じますが是非とらせていただきたい。」と重ねて申出た。原告はここでごたごたして翌日の日程に差支えるようなことになつてはと憂慮し、ついに屈して指紋をとらせた。
直ちに国警島根県本部から派遣された鑑識課員の手で指紋対照を行つた結果、原告が長谷川浩でないことが間もなくわかつた。そこで安濃地区署長は原告に「あなたは長谷川浩でないことが判明しました。」と告げ、更に「人違いしてまことに申訳ありません。日共幹部の捜査は警察の重大な仕事の一つになつているものですから、失礼いたしました。御諒承願います。」と挨拶した。そして署長は「宿の心配をいたしましよう。」といい、原告もそれを希望したので、原告を同町第二の旅館である笹木旅館に案内した。笹木旅館では原告を第一等の部屋に泊めた。大羽部長松川巡査も笹木旅館に泊ることになり、はじめ同旅館では原告の部屋の次の間に右両名の床をとつたが、右両名は遠慮して別の部屋に床を運ばせ、その部屋に寝た。警察官が徹夜で原告を監視したというようなことはない。また笹木旅館は原告のいうような特殊の構造をもつた警察の御用宿ではなく、同旅館を安濃地区署が留置場代用に使つたものでもない。
翌朝安濃地区警察署長は原告に前夜の非礼を詫び、署の自動車で原告を大田駅に送り、原告は出雲今市の講演会場に向つた。
かように認めることができる(もつとも以上のうち、木部村が日本共産党の勢力の強いところであること、昭和二十五年九月二十五日の毎日新聞に長谷川浩の写真入りで前記記事が載つたこと、原告が同月二十四日夜木部村木村荘重方に泊り、翌二十五日国鉄津和野駅プラツトホームに居た際、鹿足地区警察署勤務の国家地方警察島根県警部補西川繁とその部下二名の巡査が原告に近づき、問答の末、原告とともに駅前巡査派出所に行つたこと、その際警察官らが原告の腕をとらえ、かつ原告に対して「あなたは長谷川浩さんでしよう。」と告げたこと、長谷川浩に対し逮捕状が発付されていたこと、原告が右巡査派出所で手紙、葉書等を示して、「自分は長谷川浩でない。」と弁明したこと、西川警部補らが原告とともにジープで国警鹿足地区署に赴いたこと、同署で長谷川浩の指紋と照合するため原告の指紋を採取し、かつ写真を撮影したこと、鹿足地区署の警察官が原告をジープで鹿足地区署から津和野駅まで送り、同駅から原告が列車に乗つたこと、鹿足地区署の警察官二名が同じ列車に乗り、石見益田駅で原告に「お供させてください。」と告げて原告と同行し、大田駅で下車、原告とともに同町にある国警安濃地区署に行つたこと、同署で原告の指紋採取が行われたこと、その日原告が安濃地区署で用意しておいた大田町の笹木旅館に泊り、右警察官二名も同宿したことは、これだけを取り出してみると、当事者間に争いがない)。
以上認定した事実は、多く被告の主張と反しており、また一部は原告の主張ともちがつているが、前記各証人、原告本人の供述中、以上の認定に反し、被告または原告の主張に合う部分は、採用することができない。ほかに右認定に反して原被告が主張しているような事実を認めることができる証拠はない。
西川警部補ら警察官は、津和野駅ホームから駅前巡査派出所まで、そしてそこから国警鹿足地区署まで、原告を、行動の自由を奪つてつれて行き、同署で原告の意思に反して指紋を採取し、写真を撮影して、原告の自由を侵し、また大羽巡査部長ら警察官は、大田駅から安濃地区署まで、旅館へ案内するとたぶらかして、原告を、行動の自由を奪つてつれて行き、同署の警察官は、原告の意思に反して指紋を採取して、その自由を侵したのである。
津和野駅前派出所から鹿足地区署へ引き立てられるとき、結局原告はついて行くことを承諾し、また鹿足地区署で指紋と写真をとられるとき、結局原告はこれを承諾したとみる人があるかもしれないが、さきに認めたとおり、駅前派出所から鹿足地区署へジープで行くときは、警察官らが本署へつれて行くことをきめてきかず、原告としても汽車の時間が気になり、押問答しても無益であると考えて、ついて行かざるをえなくなつたまでのことであり、また指紋を採取し写真を撮影するときも、同じ事情があつて、暴力を振つてまで拒否しなかつたまでのことであり、以上のことはいずれも原告の意思に反して強制して行われた、とみるほかない。
また安濃地区署で指紋を採取するときも原告がこれを承諾した、とみる向きもあるかもしれないが、一度意に反して指紋を採取させたのち、重ねて指紋をとることを原告ほどの人が任意に承諾するというようなことは、普通は考えられないことであり、鹿足地区署からの継続の事態として警察官が指紋をとらせてくれといつてきかず、原告も、押問答で時を過して翌日の日程を狂わせるようになつてはと、それを案じて、最後まで拒否しつづけるということはしなかつたまでのことであつて、やはり原告の意思に反して強要のもとに指紋を採取されたとみるのが相当である。
鹿足地区署を出てから大田駅につくまでの間警察官らが原告の身体の自由を拘束したというようなことがないことは、さきに認めたとおりである。警察官らは原告の自由をそくばくしないようにして原告について行つたまでのことである。またさきに認めたように警察官らは原告を笹木旅館に監禁して原告の行動の自由を奪つたというようなことはない。これは興奮した原告の誤解に出たことか、または原告が少し事実を曲げて主張しているか、そのいずれかである、としかみることができない。
さて警察官が捜査にあたり強制力をもつて身体の自由を奪うことができるのは、現行犯逮捕(刑訴二一二条、二一三条)か逮捕状による逮捕(刑訴一九九条、二〇一条等)か緊急逮捕(二一〇条)か、そのいずれかの場合に限られる。また適法な拘束を受けている被疑者以外の者については、令状によらずして指紋を採取し、写真を撮影することはできないのである(刑訴二一八条)。
原告をつかまえ、その自由を拘束したのが、現行犯逮捕、緊急逮捕によるものでないことは弁論の全趣旨によつて明らかであり、また原告に対して逮捕状が出ていなかつたこと、原告の指紋を採取し、写真を撮影するについて令状が出ていなかつたことも、弁論の全趣旨によつて明らかである。警察官らは、前認定のとおり、結局逮捕状が出ている長谷川浩と思い込んで、原告をつかまえ、その自由を拘束し、その指紋、写真をとつたのである。
かように公衆の前で警察官らに身体の自由を拘束され、その意に反して指紋、写真をとられたことによつて、原告が精神上相当の苦痛(自由及び名誉の侵害による)を受けたことは、いうまでもないことである。右警察官は国の公権力の行使に当る国家地方警察の警察官であり、原告の右損害は、右警察官らがその職務を行うについて原告に与えたものであるから、右警察官らに故意または過失がある限り、国は、国家賠償法によつて、原告に対し、その精神上の苦痛を慰藉するに足りる慰藉料を支払わなければならないのである。
前記のとおり、警察官らは、逮捕状が出ている長谷川浩と思い込んで、原告をつかまえ、その自由を拘束し、その指紋、写真をとつたのであるが、実は原告は長谷川浩ではなかつたのであるから、警察官らが思いちがいしたについてはもつともな事情があつたということを、被告が明らかにしない限り、警察官らは、原告を長谷川浩と思いちがいして原告に損害を与えたについて過失があつた、と認められてもしかたがないのである。
人の身体の自由を拘束するということは、極めて重大なことである。新憲法もこれを重視し、第三十一条、第三十三条、第三十四条等詳しい規定を設けている。さればたとい逮捕状が発付されていても、その執行の任に当る警察官らは、執行に当つては、人違いか否かを見わけるために高度の注意を払わなければならないのである。あたかも自動車運転手たる者は、自動車を運転するに当つて人を轢くことがないように最善の注意を払わなければならないと同じように。この点について、被告がいう、木部村が日本共産党の勢力の強いところで、村長木村荘重が元日本共産党島根県委員であつたということ、木村村長が「かつて自分は治安維持法違反の罪で長谷川浩と同じ刑務所で服役したことがある。」といつたことがあるということ、昭和二十二年中に長谷川浩が木部村を訪れたことがあるということ、昭和二十五年九月二十五日毎日新聞に被告のいうような記事が載つたということは、長谷川浩が鹿足地区署管内に立ち廻ることを慮つて警戒を厳にすべき事由にはなつても、九月二十五日木部村から津和野駅にあらわれた原告を長谷川浩と思い込んだことに過失なしとする事由としては不十分である。
被告は「長谷川浩の手配写真(乙第三号証)、昭和二十五年九月二十五日の毎日新聞における長谷川浩の写真(乙第二号証)と、津和野駅待合室にいた原告とを対照してみたら、両者がよく似ていた。」ともいう。しかし長谷川浩の手配写真であることについて争いない乙第三号証、昭和二十五年九月二十五日の毎日新聞であることについて争いのない乙第二号証における長谷川浩の写真と、昭和二十五年九月二十五日鹿足地区署でとつた原告の写真であることに争いのない乙第四号証とを対照してみても、たやすく人違いをするほど似ているとは思われない。むしろよく気をつけてくらべてみるとちがうことがよくわかるのである(乙第二、三号証の写真と、本人尋問の際にあらわれた原告とを対照してみたところでも同じことである)。そして他人のそら似ということもないわけではないから、写真が多少似ていても、同一であるか否かをたしかめるために、よくよく注意して比較しなければならないこと、いうまでもない。さきに認めたとおり、西川警部補らは頭から原告を長谷川浩と思い込んだために、しさいに手配写真等と対照する心の余裕を失つていたとしかみられない。
なお前認定のとおり、西川警部補らは、原告が津和野駅ホーム及び駅前派出所で名刺及び原告宛の手紙、葉書等を示して人違いであることを弁明したに拘らず、全然取り合おうとしなかつた。この点について被告は「偽名している犯人が、その身分を偽るため、予め名刺、葉書等を準備していることが多い。」という。それはそうかもしれない。しかし実際人違いである以上、犯人の真偽を見わけることを職とする警察官が白紙で対すれば、名刺、手紙、葉書をしさいに検し、本人の弁明と照し合せることによつて、人違いであることがわかつてくるのが普通である。この点においても、警察官らは先入見にとらわれて、当然とるべき処置をとらなかつた過ちを犯した、といわなければならない。
警察官らとしては、或いは言いたいかもしれない。汽車の発車時刻が迫つていた際であり、名刺、手紙、葉書等をしさいに検する余裕がなかつた、と。しかし警察官らは現に原告を鹿足地区署に連行して調べているのである。十分とはいえなくとも右の資料を検するにある程度の時間の余裕はあつたのである。しかしそこまでいうと、実は警察官らが発車までの間に津和野の町で事の結末をつけようとしたのが、そもそもまちがいである。人身の自由はあらゆる基本的人権の基礎をなすものであり、人身の自由の拘束ということは、それ故に、実に重大なことである。まず捕えてしかる後に調べようとした警察官らの感覚は、旧時代的なものといわれても仕方がない。時間が十分でないと考えたら、警察官としては、よろしく原告を汽車に乗るに任せた上で、徐ろに観察し、その他適当な調査をすべきであつたのである。いずれにしても警察官らはとるべき処置を誤つたといわなければならない。
もしそれが安濃地区署において重ねて指紋の採取を強要した点については、警察官らの過失は決して軽くないのである。即ち、安濃地区署で指紋の対照をしなければならないというのであれば、警察署は互に連絡を密にして、鹿足地区署でとつた指紋の原紙を安濃地区署に届けるように取り計うべきであつた。
しかるにこの処置を怠り、一度指紋を採取したに拘らず重ねて指紋の採取を強要した点において、警察官は過ちを重ねたといわなければならない。
結局逮捕状が出ている長谷川浩と思いちがえて原告をつかまえ、その自由を拘束し、原告の意思に反して指紋及び写真をとつたことについては、少くとも警察官らに過失があつたといわなければならない。
ところで原告が前記のとおりの経歴、地位、研究、学位をもつすぐれた科学者であることをしんしやくすると、原告の精神上の苦痛に対する慰藉料の額は金五万円をもつて相当と考える。
被告は原告に対し、慰藉料として金五万円を支払わなければならない。
次に原告は被告に対して謝罪広告を求めている。厳密にいえば、津和野駅の公衆の面前において、罪なくしてとらえられて犯人扱をされたことによつて、原告はその人格の社会的評価を低められ、名誉を毀損されたということになろう。しかしことは殆んど瞬間的な出来事に過ぎず、しかも警察官らは公衆に対し、原告の氏名及び原告の犯罪事実を明らかにしたわけではない。公衆は何という氏名の人がとらえられたか知らずにいるのである。名誉毀損という点からみると、警察官のやつたこと及び原告の蒙つた損害は、新聞紙上に謝罪広告をすることによつて賠償させるのを相当とする種類程度のものではないのである。
原告の蒙つた損害の賠償としては前記慰藉料の支払をもつて足りる、といわなければならない。
原告の請求は慰藉料五万円の支払を求める限度においては正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却すべく、訴訟費用は民事訴訟法第九十二条但書によつて全部被告の負担たるべきものとする。仮執行の宣言はその必要ないものと認めてこれを与えない。
(裁判官 新村義広 入山実 石沢健)
謝罪広告
国家地方警察島根県鹿足地区警察署所属の警察官らが昭和二十五年九月二十五日島根県鹿足郡津和野町国鉄津和野駅構内において、吉岡金市氏を日本共産党の中央委員として公職追放処分を受けた長谷川浩氏であると何らの合理的根拠もないに拘らず一方的に認定し、吉岡氏の人違いであるとの弁明をきき入れず吉岡氏にたいする逮捕状によらずして吉岡氏を多数の乗客の面前において暴力を振つて逮捕し、鹿足地区警察署に連行した上、強制的に吉岡氏の指紋を採取、身体の写真を撮影し、更らに国家地方警察島根県安濃地区警察署に連行し、同警察署所属警察官らと協力して再び強制的に吉岡氏の指紋を採取し、同日夜から翌日の朝まで大田町所在の警察御用宿として特殊の構造をもつた旅館の一室に監禁して、吉岡金市氏の人権をじゆうりんしたことは、民主国家においては許すことができないフアツシズム的行為であつて、誠に申訳なく、こんご再びかかる非人道的行為を犯さないことを誓い、深く陳謝の意を表する次第である。
年 月 日
国
右代表者法務大臣
木村篤太郎